『ミリオンダラー・ベイビー』2004年アメリカ 監督・音楽/クリント・イーストウッド
①この映画を課題に選んだ理由
アメリカ映画に関しては、SFXなどを駆使したハリウッド大作が私は苦手で、古い時代のアメリカン・ニューシネマや、ヒッチコック、ブライアン・デパルマ、マーティン・スコセッシなどの作品、そしてここ数年ではイーストウッド作品が趣味に合っていた。
彼の作品の中での好みは、一位『グラントリノ』、二位『ミスティックリバー』、三位『父親たちの星条旗』か『ミリオンダラー・ベイビー』。
課題に『ミリオンダラー・ベイビー』を選んだのは第77回アカデミー賞の作品賞・監督賞・主演女優賞・助演男優賞の4部門を受賞していることと、アマゾンプライムで無料視聴できるので、皆さん観やすいと思ったからだった。私は18年ほど前の公開当時に劇場で観たのだが、今回観直してみて、いやはや重い映画だったのだな、と再認識した。
➁あらすじ
昔カットマン(止血係)だったフランキー(クリント・イーストウッド)は、親友でかつてボクシング選手だったエディ(モーガン・フリーマン)の試合中、危険を感じながら中止できずに選手生命を終わらせてしまった苦い過去を持つ。今は雑用係のエディの助けを借りて寂れたボクシングジムを運営する老トレーナーとなったフランキーだが、過去の経験から慎重な試合しか組まず、有望な選手を大手ジムに奪われることが続く。
フランキーは娘と長く音信不通で、未開封のまま戻って来た手紙の束が山のようになっている。そんな頃、ジムにプロを目指して入門希望の31歳の女性マギー(ヒラリー・スワンク)がやってくる。何度も断るフランキーだったが、素質を見抜いたエディの助言もあり、入門を認める。彼女は頑固ながらもフランキーの教えは忠実に守り、徐々に頭角を現して勝ち続けついに敵なしとなる。成功した彼女は故郷のトレーラーハウスに住む家族に家をプレゼントするが、生活保護が打ち切られると冷たくあしらわれ落胆する。
背中にゲール語で「モ・クシュラ」と書かれたガウンをフランキーから贈られたマギーは、階級を上げ100万ドルのファイトマネーがかかった試合に臨む。相手は反則で有名なチャンピオン、ビリー。試合はマギーが優勢だったが、ラウンド終了後にパンチを出したビリーの反則により頸椎を損傷し、人工呼吸器が一生必要な全身不随の身となってしまう。
入院生活のマギーと、面倒を見るフランキーの間には実の親子以上の深い情愛が生まれる。だが金銭目当ての家族に見放され、夢も失った彼女はフランキーに安楽死を懇願するが断られ、舌を噛んで自殺を図る。自分らしく死にたいという彼女の決意を知ったフランキーは苦悩した末に生命維持装置をはずしアドレナリンを過剰投与する。「モ・クシュラ」とは、お前は私の血だという意味を伝えて。マギーは微笑みながら涙を流して息を引き取る。フランキーは二度とジムには戻らず行方知れずとなり、エディがその後を継いでいる。
③私の感想
私はもともとボクシングが好きなので『ロッキー』や『レイジング・ブル』などのボクシング映画も大好き。だから映画前半はマギーが困難を克服してプロを目指して頑張る姿が清々しかったし、サクセスストーリーの典型のような運びだと思った。が、後半ラスト近くになるとそのトーンは一気に変わる。「一女性のアメリカンドリーム実現」から「安楽死・尊厳死」へとテーマが変わったかに見える。実際この映画上映に反対する団体運動もあったようだ。が、イーストウッド自身はこのような考えを持っているわけではなく、あくまで前者のテーマで撮った映画だと語っている。
ヒラリー・スワンクの演技が素晴らしいと思った。貧しくまだ女性蔑視もあった頃に、夢の実現のために前向きに頑張る姿が素晴らしかったし、ボクシングシーンも迫力満点だった。足の運びをフランキーに習い、ウエイトレスの仕事中にもステップを踏む。後に病院で壊疽のため片足切断となってしまう時に、このシーンが思い出され切なかった。
ボクシングの試合で何度も映し出されるコーナーに椅子を置くシーン。それはある意味象徴的で、最後の試合でセコンドが雑に置いた横になった椅子に、マギーが首を打ち付けてしまうシーンにつながる。
全編を通してモーガン・フリーマンの抑えた演技が良い。表情や声が優しさや思いやりに満ち溢れている。それでいていざという時には強い。そして彼のナレーションは、画面には最後まで出てこないフランキーの娘にあてた言葉であることが最後にわかる。
マギーはただ人生に落胆したから死を選んだのではないと思う。彼女は与えられた運命の中でやれるだけのことをやった。華々しく輝いた最高の瞬間もあった。その記憶を大切にしたいからこそ、死を選ぶ=自分らしく生きる道を選択したのではないか。フランキーと心を通わせることができたのも大きいだろう。
しかし、彼女が選んだこの尊厳死という結果を、どう考えるかは非常に重い問題で軽々しく考えることはできない。尊厳死や安楽死は倫理に反すると理屈では言えるが、実際に自分の問題となった時にしか、それぞれの答えは出てこないものと思う。
イーストウッドの多くを語らない淡々とした画面作りが、この映画に合っていたと思うし、決して後味は良くないけれど、このように考えさせるラストがあったからこそアカデミー賞を取ったのだとも言えるのではないか。
④課題
1,印象に残ったシーンはどこですか。
2,病院でのマギーの心境と選択、このラストをどう思いますか。
以上のことを踏まえて、感想を自由にどうぞ。