「タクシードライバー」「レイジング・ブル」「レナードの朝」を観て

  • 阿王 陽子
  • 2022/08/11 (Thu) 21:19:49
少し前に発表でロバート・デ・ニーロ「マイ・インターン」を取り上げたさい、マイ・インターンはロバート・デ・ニーロの無駄遣いだ、との会員のかたからのご意見があったので、ロバート・デ・ニーロの作品を観ることにした。

私自身が繰り返し見ているのは、「恋におちて」と「ニューヨークニューヨーク」で、若きメリル・ストリープとの共演の不倫の恋を描いた「恋におちて」、また、大好きな女優ライザ・ミネリのミュージカルが散りばめられた「ニューヨークニューヨーク」は、いい意味でロバート・デ・ニーロは主役の女優の明るさや美しさ、艶やかさを引き立てるスパイスのようであり、また、ロバート・デ・ニーロらしくはない、作品である。

さて、お盆休み中の今回見たのは、「タクシードライバー」(初めて)「レイジング・ブル」(二回目)「レナードの朝」(二回目)の3作品である。

1976年の「タクシー・ドライバー」は、モヒカンスタイルの髪型はインパクトがあり、また、ハーヴェイ・カイテルやシビル・シェパードなどが脇を固め、かなり若き日のジョディ・フォスターが少女娼婦をとてもかわいく、無垢なまでに純粋に演じている。ここでのデ・ニーロは、帰還兵の社会への不安、妄想、不器用さ、狂気、正義感をよく表現している。

夜の街をタクシーで走りながら退廃的で快楽的なムードに苛立ちを感じる青年の内面的葛藤、そして対照的に昼間は秩序的伝統的な整理整頓された選挙事務局に焦点を当てて、そこで働くシビル・シェパード演ずるベッツィーに好意、これは憧れなのだろう、憧れを抱きデートに進展するが、デートでポルノを見せたため嫌われてしまう。内面的葛藤から、体を鍛え、政治家を狙うが未遂に終わり、知り合ったジョディ・フォスター演ずるアイリスを騙していいように使っている、ハーヴェイ・カイテル演ずるポン引きや仲間たちを始末する。

結果はマスコミからアイリスを組織から救い出したヒーローともちあげられ、前にふられていたベッツィーからも、最後タクシーに乗ってきて、話しかけられるのだが、彼の中ではもうベッツィーへの憧れは消えてしまっていた。

デ・ニーロは貧相なまでに痩せていて、青年の葛藤、衝動、不安、正義がけだるい夜の街のムードと混ざり合って、破裂する。
若さの象徴のようなデ・ニーロと、家出少女の無知さ、愛情に飢えている無垢なジョディ・フォスターは、1970年代を体現するベストカップルだった。

デ・ニーロはタクシードライバーを3週間体験して役作りをしたそうだが、そうした役作りの徹底さは、「レイジング・ブル」では伝説となった。

1980年の「レイジング・ブル」は実在するボクサーを演じたが、鍛えた肉体の前半と引退後クラブの支配人をした時の後半では体重が27キロぐらい差があり、デ・ニーロは役作りのため過食して増やした。近年シャーリーズ・セロンが「モンスター」の殺人鬼を演ずるために増量をしたが、その役作りの原点が、デ・ニーロによる役作りアプローチ、「デ・ニーロアプローチ」だった。

この「レイジング・ブル」ではボクサーの試合と、妻ビッキーへの執着、独占欲、嫉妬、猜疑心、ビッキーとの恋愛と結婚生活、そして関係の終わり、未成年少女を紹介した罪での投獄、そしてボクサーとしての過去の栄光を思い出す。ビッキーの役の女優が、ミア・ファローとキム・ノヴァクを足して2で割ったような美人で、このキャシー・モリアーティは私は知らなかったが、魅力あふれて蠱惑的だった。

筋肉質で巻毛の黒髪なロバート・デ・ニーロのジェイク・ラモッタは柔らかな肉質、細い線、美しい金髪のロングヘアのビッキーを際立たせる、どっしりとした存在感だった。

私が苦手な映画の「レナードの朝」のロバート・デ・ニーロは、「タクシードライバー」や「レナードの朝」「ニューヨークニューヨーク」で見るような暴力的な粗野な面ではなく、繊細で哀しい、もろい、はかない、壊れやすい、精神性を体現している。

1990年の「レナードの朝」は、脳炎患者、パーキンソン病、神経病が今より知られていない時代の、医師の試験的治療からくる目覚め、そして、悲しみ、生きる悲しみと人権を表している作品で、私はラストの内容が悲しくて、辛く感じてしまうのだが、レナード演じるデ・ニーロが患者にしか見えないし、またルーシー演じる女優さんをはじめ、病棟の患者役の役者さんが患者にしか見えない。ほのかに恋心が芽生えながら、悪化するけいれんから、自ら彼女に別れを告げ、彼女が帰るバスを見送り悲しむ姿に涙した。

ロバート・デ・ニーロの三作品を続けて見たが、どのデ・ニーロも、役を役と感じさせない精巧なリアルさがあり、徹底された精巧な役作りと、ロバート・デ・ニーロには、やはり人間のさまざまな面、さまざまな気持ち、心の機微を伝えたい純粋さが彼の根底にあるのではないか。

「マイ・インターン」はロバート・デ・ニーロ作品をこうやって見てみると、ややおとなしい好々爺であって、たしかに、ロバート・デ・ニーロにしては意外な作品であるかもしれないが、穏やかな性格の彼もまた、ロバート・デ・ニーロの仮面のひとつなのだろう。また、ロバート・デ・ニーロ作品を観たいと思った。
2022.8.11
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