「東京物語」を観て

  • 山口愛理
  • 2022/08/14 (Sun) 12:03:03

『東京物語』は若い頃、仲間と上映会を催したことがある思い出深い作品だ。横浜で会場を借り、フィルムを借りて、チケットや宣伝のポスターも手作りして臨んだ。同時開催した上映後の講演会は、『東京物語』制作当時に新人助監督だった高橋治氏にお願いした。高橋氏は助監督後に作家となり、『絢爛たる影絵 小津安二郎』という、監督や俳優のエピソードを満載した大変面白いノンフィクションノベルを書いている。上映会当時は『風の盆恋歌』という恋愛小説を出した直後で、後に直木賞作家となった。上映会は観客の入りも上々で、講演も大変面白かったと記憶している。
さて、『東京物語』について。この作品は海外でも非常に評価が高く、今でもその評価は下がらないらしい。その理由を考えてみた。
まず、独特のゆるく丁寧なトーンとローアングルのカメラワーク。登場人物が話している時は、その人物の顔のアップに切り替わり、それが繰り返される。この手法が以前からあったのかどうかわからないが、小津作品では多用されていて表情や話し方が強調される。また、畳文化という日本独自のものに、このローアングルが合っていて臨場感が増すのだ。
この映画では長女の志げのみがポンポンと物を言い、それ以外の人物は、子供を除いてみな面と向かって不満などを言わない。それが控えめな日本人のエキゾチズムと映るのか。だが、表面穏やかでも、大げさな演技は無くても、周吉役の笠智衆、妻のとみ役の東山千栄子の語りや表情で、観ている方は細やかな心の内を感じ取れる運びとなっている。そこが素晴らしい。また、戦死した次男の嫁、紀子役の原節子は、唯一思いやり深い人物として描かれ、派手な顔つきながら大和なでしこを体現している。
今の時代に一番そぐわないと感じたのは、東京見物の直前で仕事が入った医師の長男が、代わりに私が行きましょうかと言う妻に、「お前は家を見ていなければ」と諭すシーン。妻が案内するのが適切だと思ったので、家を見るって何だろうと、ここは理不尽に感じたし、初めから妻が同行しない予定だったのも今の時代からすると違和感があった。
好きな場面は、空気枕のことで老夫婦が話すシーン。お互い、相手が持っていると言いながら、結局夫が持っていた。その後の何気ない「ああ、ありましたか」の妻のセリフが良くて、長い穏やかな老夫婦の暮らしを感じられた。老夫婦がそれぞれ未亡人の紀子の今後を思いやるシーンも、良くしてくれた紀子への気持ちが溢れていて暖かい。
それと、やっぱりラストシーン。「今日も暑くなりそうだ」などと紀子と普通の会話をし、一人になった部屋で近所の婦人と窓越しに一言二言交わしてから夕暮れを迎える周吉役の笠智衆。妻がいなくなっても変わらず日常は続いていくのだという、寂寞感と滋味あふれるラストだ。
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